太字は特定の月は不明で、その年に起こった事柄です。
|
| 1945年(昭和20年) |
| 8月 |
終戦 外地に派遣されていた陸軍及び海軍軍楽隊員の復員はじまる |
| 9月 |
海軍軍楽隊員を主力とする東京都音楽団結成(団長 山田耕筰、管弦楽団部長 早川弥左衛門、吹奏楽団部長 内藤清五) 陸軍軍楽隊は皇宮奏楽隊として宮内省禁衛府に入る(隊長 山口常光) |
| 11月 |
アメリカ、ゴールドマン・バンドの指揮者エドウイン・フランコ・ゴールドマン博士(1878−1956)が、アジア地区の米軍軍楽隊の査察のため、米陸軍省音楽部長ブロンソン中佐と来日。東京都フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に出席し、また東京都吹奏楽団の練習を訪問し、指揮・指導した。 |
| 12月 |
舞鶴海兵団軍楽隊員を主力とする京都市音楽団結成(団長 蔵田春平)(昭和24年解散) |
戦時中活動していた旧制中学校の吹奏楽部は、戦災で楽器が焼けたり、盗難にあい、かつ戦後の時代に自由に演奏できる曲目や楽譜がなく、殆ど休止状態となる |
| 1946年(昭和21年) |
| 3月 |
皇宮奏楽隊は解散し日本放送吹奏楽団となる(しかし7月に解散) |
| 6月 |
大阪市音楽隊は大阪市音楽団と改称(団長 勝部藤五郎) |
| 8月 |
東京都は管弦楽団を廃止し吹奏楽団は東京都吹奏楽団となる(団長 内藤清五) |
| 1947年(昭和22年) |
| 2月 |
関東吹奏楽連盟復活(理事長 堀内敬三) |
| 3月 |
選抜高校野球入場式に大阪市音楽団演奏 |
| 4月 |
6・3・3の新学制発足 教育基本法の実施 |
| 11月 |
音楽之友社「新音楽教育叢書」を企画「吹奏楽の教え方」(広岡九一著)発行 |
戦時中の楽器、楽譜が残った新制高校で細々と吹奏楽の活動が始まる |
| 1948年(昭和23年) |
| 3月 |
警視庁音楽隊発足(隊長 山口常光) |
| 5月 |
海上保安庁設置 |
| 6月 |
LPレコード発売 |
| 11月 |
第1回全日本合唱コンクール(東京神田共立講堂) |
音楽之友社より管楽器教則本の発行はじまる |
| 1949年(昭和24年) |
| 4月 |
音楽学校が音楽大学に昇格 |
| 7月 |
東京消防庁音楽隊発足(隊長 内藤清五) |
| 8月 |
甲子園の夏の高校野球大会入場式に関西の高校合同バンドが出演 |
| 11月 |
関東吹奏楽連盟 第1回吹奏楽祭開催(日比谷音楽堂)その選抜合同バンドの演奏がNHKから放送され、それをきっかけとしてNHK第2放送に東京近郊の高校バンドが出演 |
| 12月 |
東京芸術大学に吹奏楽研究部発足(部長 山本正人) |
| 1950年(昭和25年) |
| 2月 |
東京通信工業(株)、現ソニー、日本初のテープ・レコーダー発売 |
| 6月 |
朝鮮戦争が始まる。 |
| 7月 |
日本経済が回復の兆しをみせる。 |
| 8月 |
警察予備隊創設 |
| 11月 |
NHKテレビ実験電波の放送開始 |
新制中学校にバンドが編成されるようになる{京都上京中学校(山下清孟)、東京代々木中学校(森 晃)、お茶の水女子大学附属中学校(広岡淑生)など} |
| 1951年(昭和26年) |
| 3月 |
海上保安庁音楽隊発足(隊長 高山實 現海上自衛隊東京音楽隊) |
| 5月 |
大宮市立桜木中学校に吹奏楽部発足(秋山紀夫指導) |
| 6月 |
戦後初の吹奏楽個人コンクール開催(主催関東吹奏楽連盟 東京芸術大学奏楽堂) |
7月 |
警察予備隊発足1周年記念行事に音楽隊が必要となり編成(隊長 須摩洋朔 現陸上自衛隊中央音楽隊) |
| 10月 |
東京芸術大学吹奏楽研究部第1回定期演奏会開催(指揮 山本正人) |
| 11月 |
関西吹奏楽コンクール復活(大阪朝日会館) |
共同音楽出版社、吹奏楽曲の出版をはじめる |
| 1952年(昭和27年) |
| 6月 |
関東吹奏楽連盟 会報第1号発行(加盟 中学7校、高校9校、職場15団体 計31団体) |
| 7月 |
海上保安庁音楽隊は海上警備隊に移籍 |
| 〃 |
全国吹奏楽指導者講習会(神奈川県逗子開成高校 受講者114名)関東吹奏楽連盟主催 |
8月 |
保安庁創設に伴い海上警備隊音楽隊は保安庁警備隊音楽隊と改称 |
| 10月 |
警察予備隊が保安隊と改組されるに伴い警察予備隊音楽隊は保安隊音楽隊と改称 |
| 11月 |
関東吹奏楽コンクール復活(東京芸術大学奏楽堂) |
音楽之友社、行進曲「希望に燃えて」「森の水車」の2曲の吹奏楽譜出版 |
| 1953年(昭和28年) |
| 2月 |
NHKテレビ本放送開始 |
| 4月 |
東京芸術大学にサクソフォーン科設立 |
| 10月 |
月刊「吹奏楽研究」発刊(三戸知章主筆) |
11月 |
関東吹奏楽コンクールに天理スクール・バンドが特別出演、芸大奏楽堂で演奏(「フィンラディア」「ガラスの靴」歌劇「トラヴァトーレ」抜粋曲)後、屋外でマーチングを披露 |
| 〃 |
このコンクールに引き続き関東と関西の吹奏楽連盟の役員が全日本吹奏楽連盟の再建を協議し、名古屋や九州の連盟にこれを伝えることなり、事実上全日本吹奏楽連盟の復活に動き出した |
| 12月 |
ドイツのミュンヘンからホルン奏者クラウス・マンスフェルトが、近衛管弦楽団の指揮者近衛秀麿の招きで来日、同団楽員となる |
| 1954年(昭和29年) |
| 4月 |
関東吹奏楽連盟では、関東各県で吹奏楽研究会の開催を企画、茨城(4月)、埼玉(5月)群馬(6月)の3県で実施 |
| 6月 |
東海吹奏楽連盟復活(6月、11月にコンクール実施 東邦高校講堂) |
| 7月 |
防衛庁の設置により保安隊音楽隊は陸上自衛隊音楽隊と、警備隊音楽隊は海上自衛隊音楽隊と改称 |
11月 |
15日、東京芸術大学奏楽堂で開催された関東吹奏楽コンクール終了後、関東、関西、東海、北海道、九州の各吹奏楽連盟の役員が協議し、正式に全日本吹奏楽連盟(全日本吹連)が再結成された(理事長 堀内敬三) |
この頃進駐軍の楽器払い下げが多く出回る(キング、コーン、特にスーザフォン等) |
| 1955年(昭和30年) |
| 3月 |
朝日新聞名古屋本社で第1回全日本吹奏楽連盟理事会が開催された |
| 6月 |
北海道吹奏楽連盟発足 |
| 7月 |
東京青山会館(現日本青年館)に駐留していた米第746空軍軍楽隊(指揮サミュエル・カーツ少佐)が東京とその近郊の中学・高校生バンドのメンバーを招待して演奏と講習を行う |
| 1956年(昭和31年) |
| 2月 |
西部吹奏楽連盟発足 |
| 3月 |
第2回全日本吹連理事会が東京朝日新聞社で開催され、全日本吹奏楽コンクールの復活を決議 |
| 4月 |
ワシントン空軍軍楽隊初来日(その後32年6月、35年3月と3回来日) |
〃 |
愛知県蒲郡市蒲郡中学校OBバンド編成 |
| 〃 |
得津武史氏西宮市今津中学校に転勤吹奏楽部の指導をはじめる |
| 5月 |
全国警察音楽隊演奏会始まる(東京) |
| 12月 |
全日本吹奏楽コンクール復活(大阪府体育館 参加団体は、中学はテープで5団体、実際に参加演奏したのは高校5、職場3、一般・大学3団体の計11団体)人数制限は各部門とも30人以内 3年連続1位は翌年招待演奏 |
日本管楽器(株)、ボエム式クラリネット発売(しかし木管ではなく、ベークライトだった) |
| 1957年(昭和32年) |
| 4月 |
阪急少年音楽隊発足(隊長 鈴木竹男) |
| 5月 |
全日本吹奏楽コンクール人員制限規定各部門とも40名以内と改定 |
| 7月 |
航空自衛隊に音楽隊を編成する準備要員として陸上自衛隊中央音楽隊から3名が移籍、浜松基地で準備を開始(隊長 松本秀喜他2名) |
| 1958年(昭和33年) |
| 1月 |
浜松基地で航空音楽隊要員の訓練はじまる |
| 〃 |
海上自衛隊練習艦隊第1回遠洋航海、音楽隊乗り組み、ハワイ訪問(以後毎年実施) |
| 〃 |
ソニー吹奏楽団設立(指揮 秋山紀夫) |
〃 |
武蔵野音楽大学管楽研究部 第1回演奏会(指揮 加藤正二) |
| 4月 |
東京芸術大学にバリトン科(現ユーフォニアム科)設立 |
| 5月 |
ワシントン米陸軍野戦軍楽隊来日 |
| 7月 |
航空音楽隊要員が浜松から立川に移転 |
| 8月 |
日本ビクターレコード 日本ではじめてステレオ・レコード発売 |
| 9月 |
関東吹連個人コンクール 本年を最後として中止 |
| 11月 |
愛知県蒲郡中学校と天理高等学校 全日本吹奏楽コンクール三連覇達成 |
| 1959年(昭和34年) |
| 4月 |
蒲郡中学校OBバンドが蒲郡市民吹奏楽団として市教育委員会に所属の社会教育団体となる |
| 〃 |
豊島区立第10中学校にバンド創立(指導 酒井正幸) |
| 9月 |
バンドジャーナル創刊(10月号から) |
| 10月 |
航空音楽隊要員が臨時航空音楽隊として正式に編成完結式挙行 |
| 〃 |
「スクール・バンドの指導と運営」出版(秋山紀夫著・音楽之友社) |
この頃からヨーロッパ製の木管(特にクラリネット)やフレンチホルンの輸入盛んになる |
| 1960年(昭和35年) |
| 2月 |
阪急少年音楽隊が宝塚劇場でステージ・ドリル・ショウを公演 |
| 5月 |
佼成吹奏楽団(現東京佼成ウインド・オーケストラ)創立 |
| 7月 |
全国中学校吹奏楽研究会発足(会長広岡淑生 愛知県蒲郡中学校で第1回研究会開催) |
| 11月 |
大阪フェスティヴァル・ホールで行われた全日本吹奏楽コンクールに特別出演した阪急少年音楽隊がステージ・ドリルを披露 |
| 1961年(昭和36年) |
| 2月 |
臨時航空音楽隊が航空自衛隊航空音楽隊(現航空自衛隊航空中央音楽隊)となる(隊長 松本秀喜) |
| 5月 |
東京都吹奏楽連盟 関東吹奏楽連盟から独立 |
| 7月 |
第2回全国中学校吹奏楽研究協議会(大宮市桜木中学校)「ブージー・バンド・メソッド」の発表 |
| 11月 |
フランス・ギャルド吹奏楽団初来日「トッカータとフーガ二短調」「ディオニソス」「ダフニスとクローエ」等を演奏 |
| 1962年(昭和37年) |
| 8月 |
名古屋学生吹奏楽団(32名)アメリカ演奏旅行実施 |
| 〃 |
アマチュアトップコンサートはじまる(関西吹奏楽連盟) |
| 7月 |
第3回中学校吹奏楽研究協議会(京都会館)「ブージー・バンド・メソッド」の研究 |
全日本吹奏楽コンクール課題曲を邦人に作曲委嘱はじまる(行進曲「若人」片山正見作曲、行進曲「鬨の声」須摩洋朔作曲) |
| 1963年(昭和38年) |
| 5月 |
秋山紀夫 アメリカ・イーストマン音楽学校に留学(1964年帰国) |
| 8月 |
第4回中学校吹奏楽研究協議会(旭川市常盤中学校) |
| 10月 |
東京吹奏楽団創立(カワイ楽器) |
〃 |
日本管楽器(株)が板橋から埼玉に工場を移転、稼動をはじめる 同時にヤマハ(株)が管楽器の改良のため日本管楽器に技術供与をはじめる |
| 〃 |
後に自衛隊音楽まつりとなる陸海空音楽隊演奏会開催(千駄ヶ谷・東京体育館) |
| 12月 |
「月刊吹奏楽研究」12月号で廃刊となる |
この頃アメリカではレジャー・ブームからカルチャー・ブームとなり図書出版が盛んになり音楽会に行く人も増え、各地にホールが作られ、楽器も学校だけでなく各家庭でも購入されるようになる。そのため宣伝、広報にも音楽的シーンが多く使われるようになる |
| 1964年(昭和39年) |
| 8月 |
第5回全国中学校吹奏楽研究協議会(徳島市富田中学校)「ファースト・ディビジョン」の研究 |
| 10月 |
東京オリンピック開催/東海道新幹線開通 |
全日本吹奏楽コンクールの課題曲が行進曲から序曲にかわる |
コンクール出場人員 高校、大学のみ45名以内と改定 |
| 1965年(昭和40年) |
| 5月 |
UCLAクラレンス・ソウヒル教授来日 米人によるクリニックのはじまり |
| 8月 |
高校バンドの躍進に伴い全国中学校吹奏楽研究協議会が名称を全日本学校吹奏楽研究協議会と改称 第6回大会を名古屋市中電ホールで開催 |
| 11月 |
長崎で開催された全日本コンクールにアメリカの作曲家ポール・ヨーダー初来日 |
12月 |
ミュージックエイト社創業 楽譜の出版を始める |
| 〃 |
関西で「ブラス・タイムス」がタブロイド版新聞として創刊 |
コンクール出場人数制限を高校の部のみ40名以内にもどす |
| 1966年(昭和41年) |
| 1月 |
天理高校 日本バンドとしてはじめてローズ・パレードに参加 |
| 5月 |
米作曲家ハロルド・ワルターズ来日 |
| 〃 |
ノースウエスタン大学サクソフォーン四重奏団来日 |
8月 |
榛名サマー・ミュージック・キャンプ開設(全日本バンド連盟) |
| 〃 |
第7回全日本学校吹奏楽研究協議会(仙台常盤木学園) |
| 9月 |
日本フルート協会発足 |
ヤマハブランド管楽器の第1号トランペット発売 |
| 1967年(昭和42年) |
| 1月 |
日本吹奏楽指導者協会(JBA)発足 |
| 4月 |
銀座パレード(ゴールデン・パレード)はじまる(東京都連主催、ソニー・阪急後援) |
| 6月 |
日本パレード・バンド・アソシエーション発足 |
7月 |
JBA第1回アメリカ吹奏楽事情視察旅行実施(団長 山口常光他25名) |
| 8月 |
第8回全日本学校吹奏楽研究協議会(国立教育会館) |
東京都吹連アンサンブル・コンテストはじめる(43年1月より) |
埼玉国体で参加団体にバス・クラリネットを導入する(48年度の千葉国体ではオーボエ、バスーン) |
ヤマハブランドの管楽器各種発売(サクソフォーン、トロンボーン、ユーファニアム、テューバ) |
| 1968年(昭和43年) |
| 1月 |
CBSソニー・レコード発足 |
| 3月 |
アメリカ金管五重奏団来日 |
| 〃 |
第1回JBA作曲賞発表 |
8月 |
第9回全日本学校吹奏楽研究協議会(島根県出雲第1中学校) |
| 1969年(昭和44年) |
| 4月 |
ヤマハ・ミュージック・キャンプ(ネムの郷)オープン |
| 7月 |
全米ハイスクール・バンド来日(指揮 ミシガン大学ウイリアム・レベリ博士) |
| 〃 |
第10回全日本学校吹奏楽研究協議会(ネムの郷 全米ハイスクールバンドを迎えて) |
8月 |
はじめてのマーチング・クリニック開催(講師アイオワ大学トーマス・ディヴィス、ネムの郷)
|
ヤマハ・バンド・ディレクター・コース開設 |
| 1970年(昭和45年) |
| 3月 |
大阪で日本万国博覧会開催 世界各国バンドが来日(米パデュー大学、カリフォルニア大学、伊カラビニエーリ、英スコッツ・ガーヅ軍楽隊等) |
| 5月 |
名古屋バンド・クリニック(現日本バンド・クリニック)はじまる |
| 7月 |
第11回全日本学校吹奏楽研究協議会(京都洛南高等学校) |
〃 |
ヤマハ豊岡工場稼動開始 同時にヤマハは日本管楽器を吸収合併 |
| 8月 |
蔵王サマーキャンプ開講(東北吹奏楽連盟) |
| 10月 |
「吹奏楽講座」全8巻発行(音楽之友社) |
| 11月 |
全日本吹奏楽コンクール、順位制から金・銀・銅のグループ表彰となる 招待演奏は3年連続から5年連続に変更 |
| 12月 |
全日本吹奏楽コンクール実況録音LPはじめてCBSソニーから発売 |
| 1971年(昭和46年) |
| 5月 |
日本マーチング・バンド指導者協会(JAMDA)発足 |
| 8月 |
第12回全日本学校吹奏楽研究協議会(北海道教育大学附属札幌中学校) |
| 9月 |
武蔵野音楽大学がアメリカ人指揮者をウインド・アンサンブルの指導者としてはじめて招聘(ジェイムス・バーダール教授) |
| 1972年(昭和47年) |
| 2月 |
第11回冬季オリンピック大会(札幌市) |
| 3月 |
日本パレード・バンド・アソシエーションは全日本マーチング・バンド連盟と改称 |
| 6月 |
第13回全日本学校吹奏楽研究協議会(秋田県 横手市民会館) |
7月 |
ヤマハ音楽振興会が「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」の出版をはじめる/レコードも同時発売 |
| 8月 |
ミシガン大学マーチング・バンド・ディレクター ジョージ・キャベンダー来日クリニック(箱根他、JAMDA主催) |
| 10月 |
英国アイリッシュ・ガーズ軍楽隊初来日 |
全日本吹奏楽コンクールの課題曲の作曲公募はじまる(48年度使用分から) |
全日本吹連 課題曲の自主出版はじめる |
岩井直溥作曲「シンコペーテッド・マーチ“明日に向かって”」が課題曲となり、ポップスがはじめて登場 |
| 1973年(昭和48年) |
| 2月 |
全日本学校吹奏楽研究協議会が「中学校音楽クラブの現況」「中学校必修クラブ活動の手引き」も出版(4月) |
| 5月 |
全日本吹奏楽連盟が社団法人となる |
| 12月 |
国産ストロボ・チューナーはじめて発売 昭和50年代にかけて各種チューナーの発売はじまる |
〃 |
「吹奏楽の効果的演奏法」出版(F.マクベス著 パイパーズ) |
| 〃 |
東京佼成吹奏楽団は東京佼成ウインド・オーケストラ(TKWO)と改称 |
| 〃 |
第1回マーチングバンド全国大会開催(全日本マーチング・バンド連盟主催 東京体育館) |
| 1974年(昭和49年) |
| 3月 |
JBAとアメリカン・バンド・マスターズ・アソシエーション(ABA)がはじめてハワイで合同コンベンション開催 |
| 4月 |
洗足学園大学にシンフォニック・ウインド・オーケストラ編成 |
| 5月 |
全日本吹奏楽コンクール課題曲の部門別をなくし、自由選択制となる |
〃 |
コンクール出場人数制限を改定(中学・高校45名以内、大学・職場55名以内、一般60名以内) |
| 〃 |
全日本マーチング・バンド連盟は全日本マーチングバンド・バトントワリング連盟と改称 |
| 1975年(昭和50年) |
| 6月 |
JBA機関紙「えこう」(現「ウインド・フォーラム」)創刊 |
| 10月 |
全日本吹奏楽コンクールをはじめて2会場で開催(高校・職場は札幌市、中学・大学・一般は11月に秋田市で) |
| 1976年(昭和51年) |
| 6月 |
アメリカ建国200年祭に全日本高校選抜バンド出場(フィラデルフィア他) |
日本バンド・クリニックがネムの郷に会場を移す |
| 1977年(昭和52年) |
| 11月 |
月刊「パイパーズ」創刊 |
全日本吹連 第1回アンサンブル・コンテスト開催を決定(昭和53年2月実施) |
全日本吹奏楽コンクール この年から会場を普門館に定着 |
銚子商業高校が全日本吹奏楽コンクールで「ディオニソスの祭り」を演奏し、コンクールの話題は中学バンドから高校バンドに移り、高校バンド全盛時代を迎える |
| 1978年(昭和53年) |
| 10月 |
JBA第1回東南アジア吹奏楽指導者協会合同会議を開催(東京) |
全日本吹連創立40周年 課題曲をフランシス・マクベスとロバート・ジェイガーに作曲依頼 |
佼成出版社 TKWOの録音を開始(54年からLPとして発売) |
| 1979年(昭和54年) |
| 4月 |
救世軍ウエリントン・シタデル・バンド(英国スタイルのブラス・バンド)初来日 |
| 7月 |
ソニー、ウォークマン発売 |
| 8月 |
「コー・スタイル・マーチング」出版(D.ホッパー著 日音楽譜出版) |
9月 |
日本クラリネット協会発足 |
| 12月 |
日本サキソフォーン協会発足 |
| 1980年(昭和55年) |
| 3月 |
第2回JBA・ABA合同コンベンション(アリゾナ州立大学) |
| 4月 |
月刊「バンド・ピープル」創刊(八重洲出版社 1999年3月号まで20年間発行) |
| 5月 |
全日本吹連 吹奏楽資料センター開設 |
10月 |
JBA第2回東南アジア吹奏楽指導者会議開催(東京) |
| 11月 |
全日本吹奏楽コンクール 大学、職場、一般の部は普門館から切り離して各地持ち回りとなる(名古屋市公会堂) |
| 1981年(昭和56年) |
| 3月 |
アルフレッド・リード 初来日(TKWOを指揮、録音) |
| 5月 |
コンクール出場人数、高校のみ45名以内から50名以内に改定 |
| 7月 |
WASBE(世界吹奏楽会議)発足(マンチェスター)全日本高校選抜バンド出演 |
10月 |
全日本吹奏楽連盟 第1回パレード・コンテスト実施(東京のシルバー・パレードで) |
ヤマハ・ディレクターズ・システム(指揮台・譜面台・椅子のセット)発売 |
| 1982年(昭和57年) |
| 3月 |
JBA第1回吹奏楽ゼミナール開催(尚美音楽短大) |
| 〃 |
フレデリック・フェネル初来日(TKWOを指揮) |
| 〃 |
「ラッパと私と子供たち」出版(岩崎弘著 ミュージックエイト社) |
| 5月 |
コンクール出場人数改定 中学・高校50名以内、大学・職場55名以内、一般は制限なし |
7月 |
第3回東南アジア吹奏楽指導者協会合同会議(ソウル) |
8月 |
「わんぱくマーチの響く町 町ぐるみスクールバンド」出版(ミュージックエイト社) |
| 10月 |
日本トランペット協会発足 |
| 〃 |
CBSソニー 世界初のCD50種を発売 CDの時代はじまる |
11月 |
全日本小学校バンド・フェスティバルはじまる(東京・主催全日本吹連) |
| |
(11月5日 得津武史氏死去) |
| 1983年(昭和58年) |
| 4月 |
日本打楽器協会発足 |
| 〃 |
NHKFM放送の「ブラスの響き」秋山紀夫の担当となり、1990年3月末まで7年間続く |
| 6月 |
「吹奏楽と11人の先生」出版(ミュージックエイト社) |
| 7月 |
第1回WASBE総会(ノールウェー・スキエン市) |
| 10月 |
大阪城築城400年まつりと大阪21世紀協会記念プロジェクトとして、御堂筋パレード始まる |
| 〃 |
ワシントン空軍軍楽隊長アーナルド・ゲイブリエル大佐来日 TKWOを指揮・録音 |
| |
(10月12日 堀内敬三氏死去) |
| 1984年(昭和59年) |
| 1月 |
フレデリック・フェネル TKWOの常任指揮者に就任 |
| 4月 |
第3回JBA・ABA合同コンベンション(東京・浜松・大阪) インディアナ大学、カリフォルニア州立大学バンド来日 |
| 12月 |
第4回東南アジア吹奏楽指導者協会合同会議(フィリピン・マニラ市) |
全日本吹奏楽コンクール 中・高の日程を一年毎に順序を変えることになる |
ヤマハ、ハーモニー・ディレクター発売 |
| 1985年(昭和60年) |
| 7月 |
第2回WASBE総会(ベルギー・コルトレー市) |
| 12月 |
日本ユーフォニアム・チューバ協会発足 |
| 〃 |
「マーチングバンドのテクニック」出版(R.フォスター著 ミュージックエイト社) |
| 1986年(昭和61年) |
| 4月 |
昭和音楽大学ウインド・シンフォニー編成 |
| 10月 |
日本トロンボーン協会発足 |
| 11月 |
第1回国民文化祭はじまる(新宿文化センター) |
ソニー・レコード コンクール実況盤の一部をCDで発売(1987年から全団体の演奏をCD化、LPはなくなる) |
(9月20日 辻井市太郎氏死去、 12月13日 山本正人氏死去) |
| 1987年(昭和62年) |
| 3月 |
第4回JBA・ABA合同コンベンション(テネシー州ノックスヴィル テネシー大学) |
| 5月 |
関西吹奏楽連盟創立50周年事業としてブラス・エクスポはじまる(大阪万博公園で) |
| 6月 |
カレル・フサ(作曲家)来日(JBA総会に出席) |
7月 |
第3回WASBE総会(米国ボストン大学) |
| 12月 |
福岡工業大学附属高校吹奏楽部 シカゴのミッドウエスト・クリニックに出演(日本のバンドとしてはじめて 指揮:鈴木孝佳) |
(1月11日 三戸知章氏死去、 9月12日 神納照美氏死去) |
| 1988年(昭和62年) |
| 2月 |
東南アジア吹奏楽指導者協会はアジア吹奏楽指導者協会と改称(第5回タイ・チェンマイ大会で) |
| 3月 |
東京ドーム(ビッグ・エッグ)オープンに日本の自衛隊各音楽隊の他世界9ヶ国の軍楽隊が参加 |
| 4月 |
創立40周年を記念して、海上保安庁に音楽隊創設(指揮者 稲垣征夫) |
〃 |
英王立空軍中央軍楽隊初来日(東京、名古屋、大阪、福岡その他) |
| 〃 |
東京コンセルヴァトワール尚美“吹奏楽専修コース”開設 |
| 5月 |
全日本吹連創立50周年(東京プリンス・ホテル) |
| 7月 |
日本ホルン協会発足 |
8月 |
第9回ワールド・サキソフォーン・コングレス開催(日本サキソフォーン協会、川崎市麻生市民会館) |
| 11月 |
第1回全日本マーチングバンド・フェスティヴァル開催(全日本吹連 神戸ポートアイランドホール) |
(7月5日 広岡叔生氏死去) |
| 1989年(昭和64年、平成元年) |
| 3月 |
第1回全日本高等学校選抜吹奏楽大会開かれる(浜松市) |
| 4月 |
アルフレッド・リード博士 洗足学園大学客員教授に就任 |
| 〃 |
吹奏楽のための月刊ヴィデオ「ウインズ」創刊 |
5月 |
救世軍ニューヨーク・スタッフ・バンド来日 |
| 7月 |
第4回WASBE総会(オランダ・ケルクラード) |
| 9月 |
JBA横浜本牧山妙香寺に「日本吹奏楽発祥の地」の記念碑建立、記念音楽会をはじめる |
(3月23日 山本誘先生死去) |
| 1990年(平成2年) |
| 4月 |
日本吹奏楽学会設立 |
| 5月 |
全日本吹奏楽コンクール公募課題曲に朝日賞が設けられる |
| 〃 |
シエナ・ウインド・オーケストラ結成 |
| 7月 |
アジア吹奏楽指導者協会はアジア・パシフィック吹奏楽指導者協会(APBDA)と改称(第6回韓国光州大会で) |
| 12月 |
東京コンセルヴァトワール尚美ウインド・アンサンブル シカゴ、ミッドウエスト・クリニックに出演(指揮 小沢俊朗 他) |
| 1991年(平成3年) |
| 2月 |
山梨県管打楽器ソロ・コンテスト始まる(主催 JBA山梨県部会) |
| 7月 |
第5回WASBE総会(英国マンチェスター市) |
|
(10月6日 山下清孟氏死去) |
| 1992年(平成4年) |
| 8月 |
第7回APBDA合同会議(台湾・台北) |
| 9月 |
学校が週5日制となる この頃から“生涯学習”が話題となる |
| 11月 |
MD(ミニ・ディスク)発売 |
| 1993年(平成5年) |
| 1月 |
大阪府高等学校選抜吹奏楽団 アメリカ・パサディナ市のローズ・パレード参加 |
| 4月 |
日本ファゴット協会発足 |
| 5月 |
全日本吹奏楽コンクール5金1休制度を、連続3年金賞の翌年は表彰のみとし招待演奏はなくなる |
6月 |
全日本吹連と日本現代音楽協会が「吹楽」コンサートをサントリー・ホールで開催 |
| 7月 |
第6回WASBE総会(スペイン・バレンシア) |
| 12月 |
富山県高岡商業高校吹奏楽部 シカゴ、ミッドウエスト・クリニック出演 |
(3月5日 春日 学氏死去) |
| 1994年(平成6年) |
| 3月 |
第5回JBA-ABA合同コンベンション(ハワイ・ホノルル) |
| 7月 |
第8回APBDA合同会議(浜松市) |
| 11月 |
音楽文化の振興のための学習環境の整備等に関する法律(音楽振興法)制定 |
| 12月 |
「音楽室に集まれ!」出版(岩崎弘著 エイト社) |
| 1995年(平成7年) |
| 4月 |
浜松市楽器博物館開館 |
| 5月 |
関東吹奏楽連盟が西関東と東関東に分割される |
| 7月 |
第7回WASBE総会 日本で開催(浜松市アクトシティ浜松) |
〃 |
「アルフレッド・リードの世界」出版(村上泰裕著 佼成出版社) |
| 12月 |
武蔵野音楽大学ウインド・アンサンブル シカゴ、ミッドウエスト・クリニックに出演 |
| 1996年(平成8年) |
| 3月 |
フレデリック・フェネル TKWOの桂冠指揮者となる |
| 5月 |
全日本吹奏楽コンクール 3金1休制から3出1休制にかわる この年がその第1年度すべての全国大会に適用 |
| 7月 |
第9回APBDA合同会議(香港) |
9月 |
第1回世界のお巡りさんコンサート開催(東京他) |
| 1997年(平成9年) |
| 3月 |
第1回パン・パシフィック・バンド・フェスティバル(現浜松吹奏楽大会)開催(浜松市アクトシティ浜松)第9回全日本高校選抜吹奏楽大会穂の他クリニックと共催 |
| 〃 |
第1回全日本ジュニア管打楽器ソロ・コンテスト(現全日本中学生・高校生管打楽器ソロ・コンテスト)(アクトシティ浜松中ホール) |
| 7月 |
第8回WASBE総会(オーストリア・シュラットミンク) |
9月 |
第2回世界のお巡りさんコンサート(パリ・マドリッド) |
| 1998年(平成10年) |
| 3月 |
21世紀の吹奏楽 第1回「響宴」開催(東京国際フォーラム) |
| 4月 |
日本オーボエ協会発足 |
| 7月 |
第10回APBDA合同会議(オーストラリア・シドニー) |
10月 |
第3回世界のお巡りさんコンサート(ソウル) |
| 1999年(平成11年) |
| 4月 |
日本吹奏楽学会が「日本管打・吹奏楽学会」と改称 |
| 〃 |
大阪で若手プレーヤーによる自主運営の吹奏楽団結成 |
| 〃 |
「管楽器の名曲名演奏」出版(伊藤康英著 音楽之友社) |
5月 |
カフア・レコード、吹奏楽CD発売開始 |
| 7月 |
航空自衛隊航空中央音楽隊がカナダの「ノバ・スコチア・インターナショナル・タトゥー」に初参加 |
| 〃 |
第9回WASBE総会(米国サンルイオビスポ) |
| 8月 |
国旗及び国歌に関する法律が成立施行 |
〃 |
第1回「全日本高等学校吹奏楽大会in横浜」開催(横浜みなとみらい) |
| 〃 |
全日本各種大会に三年連続出場団体によるコンサートを東京文化会館で開催 |
9月 |
第1回「瀬戸口藤吉翁記念行進曲コンクール」(鹿児島県垂水市) |
| 10月 |
第4回世界のお巡りさんコンサート(デュッセルドルフ・ベルリン) |
12月 |
全日本吹連がシカゴ、ミッドウエスト・クリニック会場にブースを開設 |
| 〃 |
「200CD 吹奏楽 名曲・名演 魅惑のブラバン」出版(磯田健一郎 著 立風書房) |
| 2000年(平成12年) |
| 3月 |
大阪でウインド・アンサンブル奏(かなで)結成 第1回定期演奏会(11月) |
| 4月 |
「行進曲『軍艦』100年の航跡」出版(谷村政次郎著 大村書店) |
| 6月 |
日本吹奏楽指導者協会 社団法人となる |
〃 |
昭和音楽大学ウインド・シンフォニー ゲスト指揮者にノース・テキサス大学ユージン・コーポロンを招聘 |
| 9月 |
第5回世界のお巡りさんコンサート(ニューヨーク・ロスアンゼルス) |
| 〃 |
「マーチング・アロング」出版(J.P. スーザ著 川島顕治訳 音楽之友社) |
| 12月 |
洗足学園大学ウインド・アンサンブル シカゴ、ミッドウエスト・クリニックに出演 |
〃 |
上野の森バンド・パーク演奏会(東京文化会館主催の吹奏楽の祭典) |
12月末〜00年1月 第11回アジア・パシフィック吹奏楽指導者協会(APBDA)合同会議(台湾・嘉義市) |
| 2001年(平成13年) |
| 4月 |
カフア・レコード、吹奏楽譜のレンタル開始 |
| 〃 |
「スーザ・マーチ大全」出版(P.E. バイアリー著 鈴木耕三訳編 音楽之友社) |
| 7月 |
第10回WASBE総会(スイス・ルツェルン市) |
9月 |
第6回世界のお巡りさんコンサート(福島・東京) |
| 11月 |
第1回東日本学校吹奏楽大会開催(千葉県文化会館) |
| 12月 |
「ブラスバンドの社会史」出版(阿部勘一 他共著 青弓社)) |
|
(8月2日 日本バンド・クリニックの創案者石上禮男氏死去、12月29日 朝比奈隆氏死去) |
| 2002年(平成14年) |
| 4月 |
「ミュージック!フレデリック・フェネル語る」出版(磯田健一郎編 音楽之友社) |
| 7月 |
マーチング・バンド世界大会イン・ジャパン開催(幕張メッセ) |
| 〃 |
第12回APBDA合同会議(中国・広州市) |
10月 |
第7回世界のお巡りさんコンサート(ローマ・アムステルダム) |
| 〃 |
陸上自衛隊中央音楽隊 韓国原州市の「ワールド・ピース・ファンファーレ2002」に初参加 |
| 12月 |
TKWO シカゴ、ミッドウエスト・クリニックに出演 |
(5月17日 兼田 敏氏死去) |
| 2003年(平成15年) |
| 6月 |
「3000人の吹奏楽」は42年間使用した阪急西宮球場取り壊しのため大阪ドームに会場変更 |
| 〃 |
「吹奏楽プログラム・ノート」出版(秋山紀夫著 エイト社) |
| 7月 |
第11回WASBE総会(スウェーデン・イエンシェーピング) |
10月 |
第8回世界のお巡りさんコンサート(シンガポール) |
| 2004年(平成16年) |
| 3月 |
第1回サキソフォーン・アンサンブル・コンテスト(洗足学園音楽大学) |
| 4月 |
第1回クラリネット・アンサンブル・コンテスト(パルテノン多摩) |
| 7月 |
第13回APBDA合同会議(韓国済州島) |
9月 |
第9回世界のお巡りさんコンサート(パリ) |
| 10月 |
陸上自衛隊中央音楽隊、韓国・原州市タトゥーに参加 |
| 12月 |
神奈川大学吹奏楽部 シカゴ、ミッドウエスト・クリニックに出演 |
(12月7日 フレデリック・フェネル博士死去) |
TVが番組で吹奏楽を取り上げるようになる |
| 2005年(平成17年) |
| 4.5月 |
第10回世界のお巡りさんコンサート(愛知・東京・横浜・千葉) |
| 5月 |
日本バンド・クリニック会場がネムの郷から浜松市アクト・シティに移る |
| 6月 |
全日本マーチングバンド・バトントワーリング連盟と日本マーチング指導者協会が合併し日本マーチングバンド・バトントワーリング協会が発足 |
7月 |
第12回WASBE総会(シンガポール) |
| 8月 |
NHK・BSハイビジョン放送で“ひゞけ みんなの吹奏楽”(45分番組)はじまる |
| 9月 |
大阪の自主運営吹奏楽団はフィルハーモニック・ウインズ大阪と改称 |
| 12月 |
ヤマハ吹奏楽団 シカゴ、ミッドウエスト・クリニックに出演 |
(4月2日 鈴木竹男氏死去、9月17日 アルフレッド・リード氏死去) |
| 2006年(平成18年) |
| 3月 |
オーケストラ(東フィルとN響)が演奏会で吹奏楽を取り上げる(N響は8月) |
| 4月 |
フィルハーモニック・ウインズ大阪 木村吉宏元大阪市音楽団長氏を音楽監督に迎え記念定期演奏会を開催 |
| 〃 |
「息を聴け」(熊本盲学校アンサブルの挑戦)出版(冨田 篤著 新潮社) |
5月 |
「天国へのマーチ」〜ブラスバンドの鬼 得津武史の生涯〜 出版(西谷尚雄著 かんぽう) |
| 6月 |
JBA創立40周年記念式典(東京) |
| 8月 |
第14回APBDA合同会議(中国マカオ) |
| 10月 |
航空自衛隊航空中央音楽隊、韓国・原州市タトゥーに参加 |
〃 |
世界のお巡りさんコンサート(香港) |
| 12月 |
武蔵野音楽大学ウインド・アンサンブル、埼玉栄高等学校吹奏楽部 シカゴ、ミッドウエスト・クリニックに出演 |
(6月19日 酒井正幸氏死去) |
| 2007年(平成19年) |
| 5月 |
「吹奏楽部員のためのティンパニ教本」出版(山下雅雄著 エイト社) |
| 6月 |
大阪市音楽団がテレビ朝日系の「題名のない音楽会」に出演 |
| 8月 |
NHKテレビがBS放送の拡大に伴い「響け、みんなの吹奏楽」を定時番組化 |
9月 |
大阪いずみホールが「青春の吹奏楽名曲セレクション、'70ヒットパレード」を企画、実施(演奏大阪市音楽団、指揮 飯森範親) |
| 〃 |
NHK首都圏ニュースが『吹奏楽の人気高まる』と題して取り上げる |
| 〃 |
CD「ブラバン!甲子園」(ユニヴァーサル・レコード6月発売)が9月3日付のオリコン、アルバム部門で8位に入る(公称12万枚の売上) |
| 10月 |
その結果「ブラバン!甲子園」のライブが昼と夜の2回公演で開催される(渋谷C.C.レモンホール) |
| 〃 |
韓国漢陽大学ウインド・アンサンブル来日、洗足学園と交歓演奏 |
| 〃 |
「一音入魂!全日本吹奏楽コンクール名曲・名演50」出版(富樫鉄火、石本和富、播堂力也著 河出書房新社) |
| 11月 |
フランス・ギャルド6年ぶりの来日 |
| 〃 |
ウエリントン・シタデル・ブラス・バンド(ニュ−ジーランド)来日 |
| 〃 |
韓国ソウル大学ウインド・アンサンブル来日、東京芸術大学と交歓演奏会 |
| 12月 |
CD「ブラバン!甲子園」が、日本レコード大賞企画賞を受賞 |
2007年の顕著な傾向として、マスコミ、特にテレビで吹奏楽が大きく取り上げられるようになったことが上げられる。こうした現象は吹奏楽の人口や底辺が広がり、ようやく社会的に認められるようになってきたことを示すものかもしれない。 |
|