
No.84 あたたかい拍手に包まれて……
こんな夢を見ました。
野原を歩いていると、楽器の山に出くわします。木管楽器に金管楽器、大小さまざまな楽器が無造作に積まれているのです。自分の学校のものに間違いありません。携帯電話を取り出して、なんとかしてほしいと訴えました。ところが返事はつれないものでした。「仕方がないので、そのままにしておくように」
雨がしとしと降り始めました。焦った私は、楽器が壊れてしまうと必死で訴えますが、いっこうに埒があきません。濡れていく楽器たちが可哀想で可哀想で、涙があふれてきました。
その悲しさがあまりにリアルで、目が覚めるとほんとうに泣いていました。現任の中学校に転勤したばかりのとき見た夢です。
どこの学校もそうでしょうか? 吹奏楽部を立ちあげるための条件がいいとは思えません。楽器は壊れ放題で管理状態も悪く、改善しようにもお金が出ません。クラブ員は少人数で楽器の持ち方も知りません。パーカッションの生徒が「マレット」という言葉を知らないのに驚きましたし、バスドラムをごろごろ転がしているのには言葉も出ませんでした。過去に何度も栄光に輝いた学校ですが、もはや復興させるのは無理ではないかと悩みました。そんなとき見た夢でした。
あれから早7年。部員数も50人規模となり、立派な評価をいただける吹奏楽部に成長しました。
それは、多くの方々の支えによるものでした。
顧問会議では運動部の先生方が予算をたくさんまわしてくれました。「吹奏楽部のためにボールを我慢する、ネットを我慢する」と言ってくださったのです。それ以来、週に1度出しているクラブ通信を、すべての先生に公開するようになりました。
また、地域の役員さんたちは、聞くに堪えないような合奏なのに、夏まつりでの演奏を熱望してくださいました。陰に日向に応援してくださいました。
そういうわけで、わが吹奏楽部はどんなコンクールよりも地域との交流を大切にしています。声をかけてくだされば、どこへでも出て行きます。地域のイベント、保育園や養護施設、小さなパレード等々。いつまでも拙い演奏ですが、みなさんのあたたかい拍手に包まれて、今日も明日も活動しているのです。
野原を歩いていると、楽器の山に出くわします。木管楽器に金管楽器、大小さまざまな楽器が無造作に積まれているのです。自分の学校のものに間違いありません。携帯電話を取り出して、なんとかしてほしいと訴えました。ところが返事はつれないものでした。「仕方がないので、そのままにしておくように」
雨がしとしと降り始めました。焦った私は、楽器が壊れてしまうと必死で訴えますが、いっこうに埒があきません。濡れていく楽器たちが可哀想で可哀想で、涙があふれてきました。
その悲しさがあまりにリアルで、目が覚めるとほんとうに泣いていました。現任の中学校に転勤したばかりのとき見た夢です。
どこの学校もそうでしょうか? 吹奏楽部を立ちあげるための条件がいいとは思えません。楽器は壊れ放題で管理状態も悪く、改善しようにもお金が出ません。クラブ員は少人数で楽器の持ち方も知りません。パーカッションの生徒が「マレット」という言葉を知らないのに驚きましたし、バスドラムをごろごろ転がしているのには言葉も出ませんでした。過去に何度も栄光に輝いた学校ですが、もはや復興させるのは無理ではないかと悩みました。そんなとき見た夢でした。
あれから早7年。部員数も50人規模となり、立派な評価をいただける吹奏楽部に成長しました。
それは、多くの方々の支えによるものでした。
顧問会議では運動部の先生方が予算をたくさんまわしてくれました。「吹奏楽部のためにボールを我慢する、ネットを我慢する」と言ってくださったのです。それ以来、週に1度出しているクラブ通信を、すべての先生に公開するようになりました。
また、地域の役員さんたちは、聞くに堪えないような合奏なのに、夏まつりでの演奏を熱望してくださいました。陰に日向に応援してくださいました。
そういうわけで、わが吹奏楽部はどんなコンクールよりも地域との交流を大切にしています。声をかけてくだされば、どこへでも出て行きます。地域のイベント、保育園や養護施設、小さなパレード等々。いつまでも拙い演奏ですが、みなさんのあたたかい拍手に包まれて、今日も明日も活動しているのです。
大阪府堺市立金岡北中学校吹奏楽部
河内 尚和
団員数:男子2名 女子44名 ※団員数は掲載当時のものです。
部 訓:イントゥ・ザ・ライト