No.76 吹奏楽に生かされて

 私は、生まれつき心臓と肺に先天性の病気を抱えており、両親は医者から、小学校6年生まで生きられればまだ良いほうだと言われていたそうです。しかし、幸いなことに過度な運動をしなければ通常の生活をしても良いと言われ、保育園、小学校と通えることになりました。
 保育園の遠足では私はいつも園内で居残り、運動会では見学しか許されていませんでした。私の母は「文句ひとつ言わず笑顔で見学しとったよ」と言っていました。が、実は3歳のとき、初めての遠足に自分だけ参加できない悲しさで大泣きした私を見た母が私に謝りながら目に涙を浮かべているのを見ました。さらに先生たちまでもが目を真っ赤にしていました。私は、自分の病気がどういうものかはわからないけど、どうしようもできないこと、誰が悪いわけでもないことを感じ、それ以来自分の病気が原因で何かできないことがあっても泣かないようにしようと思うようになったのです。
 その後、大きな病気の進行もなく無事に卒園を迎え、小学校に入学。1年が過ぎ、2年生になった頃、両親が離婚、母親に育てられることになりました。特に毎日喧嘩があったとかではなく、お互いの了解のもと離婚が成立したので、いやな思いをしたという記憶はありません。
 そして、小学4年生になった頃、私は母から、もしかしたらあともう少しの命かもしれないということを聞かされました。教育方針などというえらそうな理由からではなく、母から見た私は、もうそれを言わなければいけない時期がきていたそうです。当時それを聞いた私は、正直かなりショックでしたが、あまりにもリアルでかえって現実味がありませんでした。
 その頃から、毎日寝るのが怖くなっていました。明日起きることがなく死んでいたらどうしよう…。そんな日々を誰に言うわけでもなく、1年、2年と過ぎていく日々の中で、運動会に出たいとか自分のやりたいことがしたいとか、そんなことよりも、ただこの世に生きていたいと思うようになっていました。
 そして、医者に言われていた6年生になりました。しかし、あいかわらず普通に生活をしている私がそこにはいました。「あのとき死ぬって言ったじゃん」なんて言う余裕はなく、私はただ緊張しつつじっと生きていました。
 その後無事に小学校卒業を迎え、そこから私の人生が大きく変わりました。生きているというよりも生かされている…ここからはもらった人生のように思っていたからです。
 そんな私が中学生になり、初めて吹奏楽と出会い、さらに転機が訪れました。人から必要とされたり、自分がいなければならないという感覚を初めて感じることができました。それまで運動会にしろ、遠足にしろ、何かをチームプレーで成し遂げる快感というものを経験したことがなく、ましてや生きているだけでいいからと願っていた当時の私にとって、自分の存在意義をまわりの人から見出せるというのは、とても贅沢なことでした。
 吹奏楽の中では私の出す音が必要であり、みんなもそれを必要としてくれる。本当に嬉しかったです。何も音楽経験のない私を、パーカッションならできるだろうと顧問の先生が受け入れてくださり、私は、自分が生きているだけでも喜ばしいのに、さらに輝ける場所まで与えてもらったのです。
 入部当初、たしかディズニーの曲で、初めてサスペンドシンバルをやらせてもらい、クレッシェンドをかけるとバンドを盛り上げているんだということがわかり、初めての合奏、初めての演奏で鳥肌が立ったのを覚えています。「生きとってよかった!」と感じられた瞬間でした。意味もなく泣きそうだったのですが、今思えば、あのときが、自分の存在を見出した瞬間だったんだろうと思います。
 そこからは吹奏楽という素晴らしい世界で生きさせてもらい、中学、高校、現在と、吹奏楽に人生を輝かせてもらったと思っています。なぜ中学からすんなりと今までこられたのか? それは、偶然出会った吹奏楽が思っていた以上に深く、病気である私の経験を生かしていける絶好の場だったからでした。それは、吹奏楽が、音楽だけでなく、人間を学ぶ場所でもあったからだと思います。
 中学、高校と70人以上の部員がいる部活だったので、楽器を操ること以外の悩み、人間関係の悩みがたくさんありました。私は、そこで、病気であることによって学んださまざまな経験を生かすことができました。ある部員のことが気に入らないと言っている部員に「互いの違いを受け入れることが人生を楽しく生きるコツなんだと思うよ」とアドバイスしたことがあります。病気の僕は、他人との違いを受け入れなければただの不幸な人間で終わってしまいます。病気の僕も、病気じゃないあいつも、お互い違う良さがあるんだと思うことで、楽しく生きられるという経験が言わせた言葉でした。
 吹奏楽では、まず自分自身の楽器の音を育てる必要があります。それには自分の音を聴き、また聴いてもらい、悪いところを指摘してもらうということが大切になります。そのためには、他人の意見を真っ直ぐに受け止める器と心が必要になってきます。その器と心がなければ音は育ってきませんし、音を育てることをしなければ、楽器を吹いていてもいずれ楽しさが薄れていくことでしょう。なぜなら、自分の音をさらに合奏で他の音と調和させて、初めて、美しいハーモニーが生まれるからです。音が育っていなければ、調和させるというのは非常に難しいことです。そしてハーモニーが生まれれば、次はみんなと合わせる楽しみが増えていきます。
 障害を持った人生でも、全く同じことがいえると思います。障害者だからといって卑屈になり、相手の気持ちを曲げて受け取っていては、いつまでたっても自分の人生は楽しくならないし、人とも調和することができず、一人ぼっちです。もしも僕が、自分の障害を見つめず、他人を見ずここまで来ていたら、とっくに死んでいたと思います。自分の障害を見つめ、いろいろな人の気持ちを卑屈になって受け止めず、自分のできることを、自信を持ってやってこられたからこそ、今生きているのだと思っています。
 現在私は、大学で教育学を勉強しながら、相模原市の中学校で、吹奏楽部外部指導員という形で吹奏楽に関わらせていただいています。私が中学生のときに存在意義を見出せたように、今の子どもたちにも、吹奏楽がそんなきっかけになってくれればと思い、毎日悩みながら指導させていただいています。
 先日アンサンブルコンテストがおこなわれ、地区予選も抜けて必死に練習し、県大会まであと1日と迫った日、生徒が休憩している最中に僕が一人で生徒の楽譜をさらっていると、ある生徒が「大会が終わったら先生と一緒に、楽しく、この曲をやってみたい」と言うのです。生徒が地区代表を勝ちとったときの涙は彼女たちの努力から得た結果であり、それを見ると、コンクールも悪いことばかりではないと思いますし、実際本人たちもがんばってよかったと言って泣いていました。しかし、県大会前日の生徒の言葉を聞いたとき、音楽ってそういうふうに人と楽しむものやったよなぁ…と気づかされました。
 コンクールが吹奏楽、音楽の終着地点ではないということ、どんなにへたくそな演奏でも人の気持ちを動かせること、何度も練習を積んで努力を重ねた曲もまたもちろんすばらしいと思えること…現在いろいろな悩みがありますが、歳を重ねるごとに気づいていけたらと思います。また、さまざまな先輩指導者の方からきちんと学んでいこうと思います。
 最後に僕のような障害を持った人は世の中にたくさんいらっしゃると思います。僕の病気はその中でもかなり恵まれているのだと思います。だからあまりえらそうなことは言えないのですが、もしも今障害を持ち悩んでいる子どもがこの文章を読んでくれているなら、この言葉を送りたいと思います。
「障害があっても幸せになれるんだよ…今は心配だろうけど大丈夫だよ。僕は吹奏楽と出会って本当に幸せな毎日を送ることができています」
 僕は吹奏楽に本当に感謝をしています。ありがとうございました。

相模原市立谷口中学校吹奏楽部
松本 一禎

団員数:男子4名 女子56名   ※団員数は掲載当時のものです。
部 訓:YBB SPIRITS 自他を思いやる心

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