No.94  転 機

 私は、28年間吹奏楽を続けている。中学1年生のとき、部活を辞めようと思ったことがある。そのとき、男の先輩と同級生が放課後私のクラスまで来て「儀式だ!」と無理矢理ズボンを脱がせようとした。それがなかったら、今はない。
 高校1年生のとき、当時新設校だった母校の吹奏楽部は、5月に、開校4年目にして初めての定期演奏会を県民会館で開催することになっていた。入部見学に行ってみたら、ドラムの先輩が上手で、これが高校の部活か!と感激したことを今でも覚えている。ゴールデンウィークに定演用のつり看板を作っていたとき、休憩時間、顧問の先生とキャッチボールをした。懐かしい思い出だ。顧問の先生は、その記念すべき演奏会で「ウエストサイドストーリーメドレー」の演奏中に突如ステージに現れ、バンドをバックに「トゥナイト」を独唱した。声楽家でもあった先生の音楽性は絶対であって、話題をさらった。今、私にはそれがない。勉強中だ。
 夏のコンクール地区大会は、高校の体育館だった。先輩たちは上手だった。圧倒的であった。県大会は、今回の地震で壊れた県民会館で朝1番の演奏だったが、エキサイティングな「エル・カミーノ・レアル」で金賞。だが、東北大会は逃した。
 2年生のときはAクラスに出場。勝負曲の「ローマの祭り」で私もテューバを吹いた。多賀城に当時新しいホールができたばかりの頃だ。3年生にトランペットが上手い先輩がいた。野球の応援の後練習をすることになっていたが、その先輩とTpパートの一部の人がさぼってしまった。先生は激怒し、コンクールメンバーから外してしまった。Hの音は誰が出すのだと思ったが、1年生が無理矢理出してしまった。こんなことは普通の先生ならできない。地区大会ダメ金で涙をのんだ。
 3年生のときは「ハムレット」で無事県大会金賞だった。先生が、練習中ずっと私に指揮を振らせてくれ、ご自身は後ろから聴いてマイクで指示を出していた。時に指揮の振り方まで注意されるのだからたまらない。しかし、それがなかったら私の今はない。
 そんな先生にあこがれて、下手なユーフォニアムを専攻に、一浪して、引き受けてくれる学校に入学した。勉強で入ったと当時の楽器の先生には言われた。が、私は理系の人間なので、文系科目、特に美学などは最悪で、暗黒の大学生活だった。ユーフォニアムの先生には、併設の中学部の生徒に習ってこいと言われる始末。悲惨だった。
 今、遊びで地元のバンドで楽器を吹きつつ指導。仕事で音楽の教師として16年目、中編成の吹奏楽部の顧問を持たせてもらって2年目だ。この地震の影響で先行きが見えない状況の中、自分の立場で何ができるか考えていかなければならないと思っている。ちょっとパソコンに向かっても、これだけの思い出が書けるのだから。

宮城県築館高等学校吹奏楽部
佐藤 淳

部員数:男子1名 女子25名   ※部員数は掲載当時のものです。
モットー:響かせよう豊かな音色を!奏でよう音楽を!継続は力なり!

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